不能者

私は望んでいる大人にはなっていません。
自分は、すねをかじり、無名の大学に入ることが出来ただけです。過敏性腸炎のために、高等学校で学歴コースから脱落し、いろいろあって現在自分は、実家の二階の八畳の部屋で寝起きして、平日は適度に大学に通い、土日だけのアルバイトをして小額を稼ぎ、学費、住居費などはすねかじり。滑稽に思われるくらいの楽な暮らしぶりで、酒も煙草も体に合わないし、ただ何の予定もない日は基本的に朝から晩まで部屋でパソコンを弄っているだけです。
今日は家を出て、どことなくドライブに出ましたが、やはり途方にくれてしまいました。自分は遊び友達もおらず、いっさいの充実を捨てたような若者。若さを活かしておらず、世間の尺度などを自分の暮らしぶりに照らせば戦慄を覚える有様です。自分には他人と交流する能力がないのです。他人との交流は自分にとって丑三つ時の竹やぶの中よりもおどろおどろしい難解なものに感じられます。誰とも付き合いがない。どこへも尋ねていけない。それこそ外食なんかして食という快楽を味わうくらい。女の交流人を作ることは夢にも思えないほどの霞がかった思考に陥ってしまいました。
嗚呼、翌日も同様の思考を繰り返し、喜びと出会えず、大人に進化できるとは思えません。
発展途上国の貧しい人たち、重度の障害者の暮らし、その情報を得れば自分がいま実に充実しているかは分かるでしょう。しかし、それこそ単純な損得勘定であり、原始的な、あまりに原始的な低能な思考でくだらないことに気づき、未だに「恵まれない人たちに愛の手を」というむずがゆいスローガンを投げかける人たちに疑問を持っています。
家の近くでよくカラスが騒いでいます。カラスは自分の本能、食と子孫繁栄のためだけに動いていると聞いたことがありますが、糞を垂らし、ゴミから食を奪うその見苦しい様はうらやましくもあり、哀しくもあります。