五千字日記

日記を閉鎖してから三日。長かった三日間、短かった三日間。皆さん、いかがお過ごしだてめえこの野郎死ね!携帯でこの記事偶然アクセスしてパケット代を大幅に消費して、ふざけんな!って思ってる奴死ねーー!!!
…すいませんね口が悪いもんで。以前よりもさらに素で日記を書く意向なので激情することも多々ありますが、まあお手柔らかに。
ようやく日記自粛期間を終えた。この日記、ピーク時は三、四人が一つの記事にコメントをくれていた気がする。高校生の女の子と思われるコメントもあったし、大学生の女の子と思われるコメントもあったし、社会人の女性と思われるコメントもあったし、ああ、あと男からもたまにきていた。しかしながら今は当然、同志も退散しており、この日記の存在も無かったことのようになっているのは言うまでもない。それでも俺は何度でも何度でも復活してみせる!!つまらねえけどなあ!!!
まあなんというか日記を書くことでしか本当の自分を表現できないので自分を追求し続けるための標本として死ぬまで日記を書き続けて行きたい。
心機一転、題を改めた。「平成二十年代だけ乗り切るブログ」とな。これは22〜32歳をなんとか乗り切ろうという意気込みで付けた題である。
思えば平成十年代は12〜22歳で、平成十年が始まった頃はまだ小学校六年であった。まだ十年前はランドセルを背負っていたのだ。黒かった。ランドセルの中にはビニール袋が常時入れられており、小食で好き嫌いが激しい俺はよくパンをビニールに入れて持って帰って捨てていた。残すことが犯罪のように揶揄されていた当時は給食の時間は一日のうちでも相当な意気込みを必要とされていた時間だったのだ。確か、パンは高学年になると二個食うことになっていた。ご飯やあげぱんは好きだから食える、バターロールはその日の体調による。バターロールが圧倒的に多くて、そのときの汁物の出来によって食えるか食えないかが決まっていた感じだ。シチューならいけるが、けんちん汁とかよくわかんねえ白菜とかかまぼこだけが浮いている汁物のときは難儀した。小四のときの給食は自分の胃袋が小さい割にパン二個設定だからやたら苦しんだ気がする。あと奇をてらって突如、ブラジル料理が給食に出されたときは本当に吐くかと思った。コーヒーの臭いがする汁物は悶絶必死。完全に残した。給食と言えば給食当番になったら最悪だ。小四のある時期、確か班の仕事が給食係りという通常では考えられない設定が設けられていた。つまり、班変えさせられるまでの二ヶ月間、毎日給食係りをさせられるという収容所的措置を取られて当時の俺には悪夢の二ヶ月だった。しかも同じ班の醜い女子にからかわれて、しかもセックスはできないし、最低だった。パンの話に戻るがやたら臭い食パン、チーズパンが出たら死亡フラグだ。あんなもん食えたもんじゃない。カッチカチな食パンとくっさいチーズパン。当時の胃袋ではなかなか食べられなかった。クラスの皆が大好きである手巻き寿司は俺にとっては天敵であった。周りが大好物で俺が苦手という状況。世間とのギャップをこの頃から真摯に感じていたのだ。中学二年と三年も給食だったのだが、このときは物凄い勢いで食っていた気がする。一年のときは弁当で、牛乳だけ支給されるという制度だったが、牛乳を運ぶ係りをやらされて、その後リア充になる奴とその後不良少女になる奴と牛乳を運ぶのだった。後片付けをするときに同じクラスの女の使用した牛乳パックを奪おうとは思ったことはなかった。俺は紳士なのでそんなことはしなかった。卓球部一年のときは先輩がボクシングの竹原みたいなオーラを発しており、慄いていたのもまた事実。卓球部女子の子らとは犬猿の仲ムードが勝手に作られており、セックスはできなかった。急遽、不良になり出す奴が面白かった。おとなしい奴が眉毛剃って、どんな確変だ?っていう変態的な変貌ぶり。俺?俺はつつましかったですよ。同じクラスの女子の写真を見て欲情するくらいでしたよ。セックスはできなかった。
中学二年の夏に卓球部主将に。「なぜおとなしい性格の彼が主将に!?」「彼には向いていない」「今すぐ解雇すべきだ!!」「しかし、部員がもやしっ子ばかりだから主将っぽいのがいねえだろうが!!!」ということで俺が主将になった。女子卓球部の主将は結構な成績を修めていたのに、俺は頑張っても初戦突破が精一杯。おまけにセックスはできなかった。
高校に入るととうとう俺は死ぬことを考えた。過敏性腸炎で教室にいるときずっと腹のことを考えるのが苦痛で仕方がなかったのだ。おそらく人前で屁をこきそうになるということは人間にとって最大の恥辱。いや最大は屁じゃなくて黄金の方だっけか。まあいいや。とにかく悶絶して教室にいると世界が狭くなる。ただでさえ狭い教室が四畳半くらいに感じる。俺は世界を呪った。世界でどんな戦争が起きていようが俺が最大の不幸者だと信じて疑わなかった。目は虚ろになり、友達も少数だし、しかも病気のことは話さない状態だったのではけ口がなかった。とても苦しい高校生活で家から近い高校なのだが、未だに高校の前を通ると当時の苦しい思い出が蘇る。おまけにセッ(略
暴挙と化していた俺は短期大学に。なぜ短期大学かって?学力が全く無く、どこも受かる気がしなくて萎縮しまくった心は辺鄙な短期大学を安息の地と見立てていたのだと思う。
そこでなんやかんや二年間ありまして、卒業してラーメン店で働きながらうだうだしてて地元の四年制大学編入して今がある。
この十年を振り返れば、まず小学校の卒業が最初のイベントだろうか。そして中学校に入学。卓球部に入部。中学二年の夏に主将になり、中学三年のクラスから孤立し、塾に通い、なんとか公立高等学校に合格。高等学校に入ると絶望的な過敏性腸炎生活。なんとか高等学校を卒業し、辺鄙な所にある短期大学に逃げ込む。そこを卒業してフリーアルバイターを一年。そして四年制大学編入学。現在三年。まあ大分端折ったけどこんな感じで十年が経過した。この間、女の友達が一人もできやしない。女どころか現在は同性の友人も皆無。知人を作るためにアルバイトをすればいいんだろう。分かっている。けど今は就職活動だから体力皆無の俺には難儀な話だ。サークル?それは興味が無い。
そんなこんなでリクナビのアンケート結果を何気なく見ていた。

■先週の投票結果「今年のクリスマスは、何をして過ごす?」
 1.もちろん就活!        (14%)
 2.恋人とデート!        (43%)
 3.友達とパーティー!      (14%)
 4.家族と食事!         (10%)
 5.就活資金を稼ぐためバイト!  (19%)

なんだこれは!?恋人とデートが43パーセント!??これは驚きである。ていうか「6. 引きこもって飯も食ってない」という項目が無い時点で信憑性が感じられず本当に残念な思いだ。
私は童貞である。25歳まで童貞だったら店で捨ててもいいかと思う。
童貞、それは震える誇り、それは鼻歌、いや、それは別れ歌。童貞であることを恥じることはない。童貞をすぐに捨てようとする愚か者ではなく、この人とならいい、そんな処女性を持った童貞に、私はなりたい。ああ、ああ。

サッカー天皇杯について。毎回、元日に決勝が行われており、一生に一回は元日に国立競技場に観戦しに行きたいと思う。しかしながら、今時のJリーグ選手の風貌はフリーアルバイターっぽいのがやたら多い気がして気が滅入る。「Jリーガー」がとうの昔に死語となった今、Jリーグの選手を「プロフリーター」と呼称するのはどうだろうか。どう見ても蔑称だが。
箱根駅伝も生で観てみたい。あの沿道の盛り上がっている感じが非常にいいと思う。だが、年下のアマチュアアスリートには基本的に興味がないのでテレビではもう真剣に観ることはない。高校スポーツなんて完全無視でしょ。なんで単なる部活動の一環の高校野球高校サッカーも入場料を取るのだろうか。金出して高校生に情を動かされる。援助交際と一緒じゃねえか!!条例違反だ!!!死ねーーー!!!!!
じゃあ俺が女子高の教師になったことを妄想するけどよ、女子高だと女子って本性出しまくりの荒れくれ者になると思うから相当、注意が必要だと思う。野生の犬ってのは飼い殺しにされてる犬と違ってすげえ凶暴なのと一緒。いや別に女子が犬だと思ってませんよ。何言ってるんですか。思ってませんって!!
「男って女の体が欲しいだけでしょ?」なんて感じている女子がいたら私は警鐘を鳴らしたい。そんなことはない。素っ裸で迫られてもおそらく私はブーイングをしますよ。服を着ている秘めたものを隠している様が好きなのであって、体自体はそんなに求めていない。つまり私はセックスがしたいのではない、心が一体となるのであればセックスは不要だと思う。抱くだけで十分だろう。そんな私には一人も女友達がいない。だから妄想に走る。
話は妄想に戻る。教師として女子高なんかで女子に一度嫌われるともう噂が広がって悪い印象は拭えなくなると思う。だからいきなり抱きついたり、盗撮するのはよくないと思うし、右胸を揉むことも左胸を揉むことも許されないことだと思う。右ふくらはぎを舐めることも左ふくらはぎを舐めることも許されないだろうし。「あ」行の女子ばかり集中的に当てるのも良くないから、たまには「わ」行の女子から当てるという柔軟性も必要だと思う。
女の子ってどんな感じで興奮するのかなって妄想するけど、本当は興奮しない生き物じゃないのかなって思うことがよくある。この辺で妄想は終了。

やっぱり小中学校の頃見ていた学生スポーツは良かったよ。PLの福留や松山商バックホーム、平安の川口、横浜の松坂は凄かった。サッカーでは東福岡、帝京が強かった頃が良かった。この中でも松坂はやっぱり凄かった。あのときのシュッとしていた松坂はもういない。今の松坂は竹坂だ。そのうち梅坂になる。家庭を持って、ちょっとアメリカンデブって風貌の勝っても負けても明日があるから「柴田、とりあえず食事に行こう」ってセーフティーな人生を歩んでいる感じは傍から見りゃ竹坂だな。シドニー五輪後の身代わり路上駐車時の謹慎のときは「下り坂」になっていたけど。
野球選手とアナウンサーがよく結婚するように、世界は狭いのだ。近場の人が人生のパートナーになる傾向は未だに崩しきれない。出会い系サイトが悪趣味な印象を拭えないのがそれを表している。
私は日本の人口を考えると、この国のどこかに埋もれている理想的なパートナーがいるとしか考えられない。しかしながら、探索するのが至難だ。街で声を掛ける軟派者になるには容姿とコミュニケーション能力を高める必要がある。自慰こそアダルトDVD、エロサイトの発展で利便性に富んでいるが、相変わらず本気の出会いというのは便利・簡単にはできそうにない。
眼鏡を掛け始めて9ヶ月が経過した。俺はめがねっ子には興奮しない。色気を感じないのだ。メガネとは滑稽なものだ。昆虫めいたものを連想させてしまう。私はセックスをする際にどのタイミングでメガネを外すのかに興味がある。
就職活動をすることは大変なことだ。自分を商品化して売り出すのだ。現時点では「この商品はポンコツですが買ってください」というような感じ。まだまだでしょう。
一人で何もかも虚しい状態ってのがデフォルトなんだけどさ、本当、やばいよね。昨日食べたものも思い出せないもの。明日食べたいものもない。ハングリーになんなきゃ駄目だと思うんだ。あらゆることに。性欲、食欲、睡眠欲と人間の三大欲求もパッと済ますのはよくない。少しは金を掛けたほうがいい。辛いよね。十年前と基本的に中身変わってないからな。当時でさえ、年賀状2、3枚しか来てなかったけど今なんて完全ゼロだよ。悲しいです。悲しいものは悲しい。バイト先で女子にメールアドレス交換断られているし、男でもメールアドレス教えあったのはいいもの、結局一回もやりとりしてないのがほとんど。なんか俺って必要とされてないんだなって思う。当たり前だけど。必要とされる人間になりたいと強く思わないのが駄目なんだと思う。もうさ、面倒なのよ。人に自分のことを訴えることって。日記ならできるけど喋りながら訴えるのは不可能に近い。
五千字打つのは非常に疲れた。来年は2008年なので次回は2008字日記にする。