高校編

東大前で暴れて捕まった高校生のニュースを目にして、いろんなことを考えた。
自分は高校で絶望的な落ちこぼれだった。
留年しかけ、何とか卒業して、自分の高校からは誰も行かないような関東のFランクの短大に進学し、短大を卒業する頃にこのブログを書き始めた。
紆余曲折し、今は安月給ではあるが、家を買い、妻子もおり、それなりに過ごしている。
いろいろあったが落ちこぼれの自分なりに学生時代を書き綴っておきたい。


私は2001年4月、偏差値60の公立高校に入学した。
高校の合格発表がピークで、その時点で燃え尽き症候群となっており、大学進学などはあまり興味が無かった。
入学式後も無気力で、中学の同級生に誘われた部活動にも入らなかった。
今にして思えば目標がなかったことが良くなかった。

ろくな思い出がない。

ただ無気力なだけならよいのだが、中3の終わりごろから発症した過敏性腸症候群(発症当時はこんな病名は知らなかった)と腹鳴り恐怖症に苛まれた高校3年間であった。
症状は常に腹の調子が気になり、午前中によくグルグルと腹が鳴り、それを抑えるためにトイレで早弁をして、午後からは腹にガスが溜まり、トイレで屁や用を出す毎日である。
腹が鳴りやすく、教室では早弁しづらいので、トイレで普通にカロリーメイトとか食べてた。午後からは腹にガスが溜まり、授業が毎日7時限まであるので休み時間にトイレで用を足すなり、屁をかまし、教室では常に腹の具合を気にして勉強どころではない。

あまりにもしんどいので、病院にも行ったが内科、胃腸科、心療内科、精神科とどれも症状を改善させてくれる医者はいなかった。
ネットで過敏性腸症候群という病名を知って改善方法を見て試したり、腹鳴りで悩む人の掲示板を見て改善はされないが、何とかやり過ごす日々であった。

成績は下がり、高1の始めは学年で中位くらいの成績だったが、徐々に赤点が増え、追試を受けたりして、高2以降はクラス最下位か最下位から2番手。
全国模試では県最下位を取ったこともある。偏差値60の高校にいながらあらゆる高校の連中すべてに敗れたのである。 


友人や彼女もおらず、北海道の修学旅行や、文化祭は1人で過ごし、テストは赤点のオンパレード、何も楽しかったことはない。
教室に詰め込まれ、腹を気にしながら勉強はほとんど理解できない。一体何のために生きているのか、高3の夏に留年する可能性を教師に指摘され、親に怒られ、もはや自分のためでなく親のために進学校卒業という肩書きを得るために補習や課題をこなしてギリギリ卒業単位を取得。


高校生というのは結局は自分の思うように生きられない。高校生なんて親の期待に応えるためでしか生きられない者も多く、私もその1人だったと思う。

進学校に通い続けるのは負担でしかなかったが、そうせざるを得なかった。「普通」を目指さなくてはならないから。
「普通」を目指して「普通」ではなくなっていった。事件を起こしてもおかしくない精神状態になっていた。


思春期とは「普通」を望む大人との闘いの時期である。
大人のいう「普通」に順応できず、しんどいのに通学なんてしなくてよかったのにと今振り返ると思う。
高校なんて定時制通信制高認試験、あらゆる選択肢がある。本当に無理して通わなくてよかったのにと当時の自分が可哀想に思う。


学校にいない時の症状は、腹が鳴ってもガスが溜まってもいい環境にいると、途端に症状が改善された。ストレスが原因であった。
人間関係を構築できていない高校生活で、人が詰め込まれた教室にいること自体がストレスの元凶であった。
こういう症状で無理して通学して 精神的にかなり負担となり、白髪とにきびが恐ろしく増えてしまった。
 

人生で苦しい局面は何度かあったが、この3年間に比べれば大したことはない。



しんどくて毎日苦痛を感じ、教室で指折り数えて待ち続けた卒業というイベントにようやくたどり着いた。
2004年3月、万感の思いで高校を卒業した。