陰謀

モラトリアム期間が後50日ほど残されている。人生にもう訪れないであろう長期休み。しかし、休みというものが甘美と思えない。それは単に感覚が麻痺しているとかそんな野暮な理由でなく、濃密な人間関係を育んでないことが原因である。ここ数年、幾度も自身の精神に打撃を与えるのは濃密な人間関係の無いことである。例えばアル中の友人がいれば、アル中が良くないことがはっきりと分かるだろうが、そんな友人すらもないから、世の善悪をひたすら機械や紙による伝聞で検証しなければならない。この検証の不憫さが精神を圧迫する。
老人。ほとほと感心する。よくもまあ何十年も荒波に揉まれて生きてらっしゃるなとここにきて思う。ただ生き続けるということだけでも辛いことだ。
長生きをすることによって果たして何を得ているのか、それは自分が長生きしなければ理解できないだろう。自殺者にしてもそうだ。自殺して本当によかったと思っている人間がいるかどうかは分かるはずも無い。自分はこれからも永延と、生きている人間による自殺論を聞かされることにほとほと参っている。
僕は後悔している。馬鹿、馬鹿、馬鹿なことを。勉強すらもしないこの自分を相当悔いている。腑抜けになってしまった高校時代を未だに引き摺っていることが原因だろうか、ひたすら紐解いて見る必要がある。
高校受験が終わり、いそいそと六尺ほどの合格発表掲示板を見に行き、一瞬の歓喜。あれがモルヒネだった。発表のほとぼりが覚めて同級生のよく喋っていた連中が「遊びに行こう」だの遊ぶ計画を話していたのを黙殺してあっさり帰ってしまったことが自分の人格を物語っている。高校へ入学するまで、特に何もしなかった。ちょうど今のように何もしていなかった。そしてやがて入学するとテストの平均点の高さにガッカリして落ちこぼれ街道が幕を開ける。胃腸の異変が訪れる。15歳。なぜ授業中に何度も意識朦朧とすることになってしまったのか。ともかく、自分は勉強を捨てた。友人は同じ匂いのする男二人のみ。女子に声を掛けられてもロクに目も合わせられない。あのときああすれば、という後悔するような躍動的なシーンすら全くない。自分は生きているのか死んでいるのか分からない状態であった。誇張ではない。授業中、「早く終わって欲しい。解放されたい」といつも考えていた。胃腸神経症過敏性腸症候群という病気であった。気晴らしにパソコン教室に通ってみたり、胃腸科、内科、心療内科、精神病院へ行ったりしたが症状は改善することなく、登校前に便器に向かってよく嗚咽を漏らしていた。あの頃を思い出すと未だに背筋が凍る。いっそのこと思い切って通信制にでも移るべきだっただろう。現状打破できなかった。とにかくいえることは、自分は弱い人間であり続けているということ