爺のガン見

仕事柄、やむを得ず爺たちと喋ったりする機会があるが会話中に爺がガン見してくると、もののけと対峙している気分になる。
酸っぱい加齢臭を漂わせて生に執着して金に執着している爺にまじまじと見られると無意識に恐怖を覚える。
人生において選択肢は二つしかなく、それは早死にするか、老いぼれるかしかない。その限られた選択肢しかないという恐怖がどうやら爺のガン見を通じて無意識に心を支配しているようだ。


そうしてガン見からしばらくして爺は立ち去ったものの、ガン見後遺症で不安定となり、ぼんやりしていると今度は道端で年増が生足で闊歩しているのである。
そんな馬鹿なとそれを今度は私がガン見してしまった塩梅。しかしよく見るとそれは生足などではなくてベージュのパンツであった。こうしたとき、私は目を消毒したい衝動に駆られる。

悲しいことに私は年に5回くらい道端で歩く老若男女のベージュのパンツを生足と見間違えてガン見するのであり、その度に自分の認識力の適当さとガン見しようという浅ましさに恐怖を覚える。
こうしたガン見を繰り返して、私はガン見する爺に老いぼれていくのだろう。