22歳の遺書

毎日毎日生きていると生きていることが当たり前のように思え、死ぬことが永延にやってこない気さえしてくる。

別に自殺するわけではない。突発的に死にたくなるときに自分を食い止める自信は100パーセントではないが、自殺は現段階では非現実的だ。
世の中には20代前半で亡くなる人もいっぱいいる。病気で亡くなる方がいれば、殺されたり事故で亡くなる方だって当たり前のようにいるのだ。自分がそういった対象にならない保証はない。
遺書を書かずして急死するほど悲しいものは無いと思う。だから書く。
哀しい例その1。車の免許を苦労して取った。苦労してようやく車を運転するのも慣れてきた。するとダンプカーが突っ込んできた。
例その2。初めて恋人ができた。初デート。初○○。そして結婚。まもなく悪性の脳腫瘍が頭にあることが発覚。
苦労が報われずに人生が終わる事なぞよくあることだ。人生の絶頂期にそれはやってくるかもしれないし、いつまで経ってもやってこない森繁パターンだってある。
どうでもいいことだが、自分は脳腫瘍じゃないのだろうかと思うときが一日一回は必ずある。いや、まったく根拠が無いが、平気な感じでいるけど実は毎秒毎秒腫瘍がでかくなっていて体が蝕まれているのではないかと考えることがある。腫瘍がなかったとしても事実、毎秒毎秒死に近づいているのには変わりない。
実際、死ぬときはあっさり死ぬんだと思う。ああこんなもんか、と。いともあっさりと死ぬ。なんだってそうでしょう。受験にしても就職にしてもセックスにしても芸能人にしても何にしても目の当たりにすればああこんなもんだったのかという白けた感じになる。死ぬときもそうだと思う。