平穏(表面的な)

朝、家を出発し2時間余りでアパートに到着。高速道路は混雑しており、横転する車も見られた。車は本当に危険な物体だと思う。今まで散々車の恩恵を受けているのででかい声で言いたくないが、車がない時代に生きていたかったと思う。
父母が私の部屋を一度でいいから見てみたい、とのことで部屋を案内した。その後、三人で蕎麦屋へ。蕎麦屋も混んでおり、順番を持って注文を終えて調理時間を待ってようやく蕎麦を食べて、デザートに抹茶アイスまで食べてのんびりしていた。
家族と共に一時的に暮らしてみると、ご飯の心配もせず、楽に過ごせるものだ。しかし楽なことは楽しいこととは限らない。盆は日中も夜ものんびり過ごしているが、一昨年まで十年以上会話の無かった兄(古賀)が昨日やってきて昨夜は急に胃痛と蕁麻疹が悪化してしまった。父母兄の対三者の「自分」を選ぶことが大変で、正直、実家はそんなに落ち着ける場所ではない。
父母、古賀は自分の一部分を知っているだけで、この日記に書いてあるような事細かな感情を知るわけもなく、逆に私は三人の目論見をほとんど理解できていない。特に男家族はそれぞれ孤立しており、ほとんど会話もなく、ぬくぬくと捻くれた状態が続いている。
しかし、皆真面目だ。定年を過ぎた父を含め、全員が仕事をしており、新聞に載るほどの悪いことも良いこともなく、とりあえず現時点では進んでいっている。将来を見据えれば、この家族の冠婚葬祭をすることが今から不安で仕方がないが。
足るを知ることは大切だと思う。自分の短所が実は長所であったりすることがある。だから自分や自分の身近な人を決して卑しめる必要はない。ただ自分は恥ずかしがりやでもう少し他者と衝突するべきなのかとは思う。それと三日坊主で何をするにしてもすぐに投げ出してしまうことがどうかと思う。やっぱり自分はどうかと思う。
相手の理解に執着せず、気持ちを打ち続けることができるだろうか。頑張って死ねるだろうか。