被りを恐れる気質

祝日なので久しぶりに更新します。

 

高校の頃、受験先を決めようと少数定員の農業系の学校を受けようかと思っていたがクラスメート(会話のしたことない男子)が受けるのを知ってからは受験を止め、自分の高校から誰も受けないような遠くの学校を受験し、入学した。

クラスメートとまた同じ学校で遭遇する気まずさを思うと遠いどこかへ逃げたくなったのだ。
思えば「被るのが嫌」という意識が自分の人生を臆病にしている気がする。

辛坊治郎氏が言っていたが、プライベートで挨拶されたくないから経済的には新幹線でグリーン車に乗れるのに敢えて普通席を取るというのはよく分かる(自分はグリーン車に乗ったことがないし、グリーン車に乗るような知り合いがいるわけもないけど感覚としてはよく分かる)。街で知り合いを見つけるとアンラッキーな気分になる。行動が被るのが嫌である。
街に出て、ユニクロで買ったシャツが他人と被るのが嫌だからユニクロをあまり着ない。服が被るのが嫌である。

こういうことで精神を無駄に消耗している。

実際は被るのが嫌というより、他者が自分と被るせいで迷惑を被るのが嫌なのである。他者に嫌われたくない、そういう精神が底にはある。

 

これまでの人生を振り返って結論としては、被ることを恐れてはいけないのである。恐れているとストレスが溜まり、心と身体に悪いから。

自分が欲しいと思ったものが他者と被ったとてそのまま突き進む衝動こそが人生である。「こんにちは」「奇遇ですね」「ありがとう」「すいません」「ではまた」だけを多用すれば誰かと何かが被ったとて生きていけるだろうと思う。

被って嫌われたらそれはそれでいい。生きている時代が被っている時点で他者とは既に被っているのである。