余生

晩秋の寒さと侘しさが体を駆け巡っております。私はもう疲れました。
J(仕事の略)が始まれば不安と焦燥で心が衰弱するだけなのです。
まるで野心がございません。
世間では最近「こども店長」となるものが注目を浴びております(民主党に政権が変わってからは子供中心主義なのでしょうか)。ともかく、このこども店長という滑稽な役職は自分には何も響かないのです。むしろ可哀想とさえ思います。「好きな子います」とのたまうこども店長でございますが、大人から賞賛を得ようとしている下心の言動だというのが丸分かりではございませんか。愛されるべき子供像を察知し、贔屓してもらおうと朦朧している様子が伺えます。愚かな大人を演じる者、賢明な子供を演じる者を見ても何も思うことはありません。嗚呼、憂鬱だ。
「少年よ大志を抱け」。クラークの話を聞かないまま、志がないまま大人になると、道を歩いている幼女が老婆に見えました。皆朽ち果てるのだ。結局のところ、全て終わるのだ。
人と会ったときの記憶よりも、人と別れたときの記憶が実に強烈で、その情はしこりの様にいつまでも体にくっ付きまとい、苦しめます。しかし、最期には消えるだけなのです。
また白髪が増えました。気力がございません。