叩き込み

 家からバス停に着き、駅に向かう路線バスに乗る。しばらくすると途中のバス停で山下清のような丸刈り、やや肥満の風貌、綿シャツにパジャマみたいな短パン、そして異様にカラフルなニーハイソックスを履いた男が乗ってくる。洞察する辺り、おそらくファッションの知識は相当疎いのであるが、AKBなぞを崇拝するあまり、ワンポイントだけでもAKBに似せるべくニーハイを履くという、痛々しい偶像崇拝ファッションに至ったかと思われる。
 その男は最初後部に座ったのだが、なぜかすぐに、前方のませた女子小学生が座っている隣の席に移動して座ってしまったのである。空席は十分あるというのに明らかに不自然。その間の男の立ち姿、目の動きは明らかに不審であり、これはおキチかつロリコンだなと咄嗟に判断できた。すると男は至近距離でちらちらとにやけながら女子の顔を見ている。ここまで露骨なロリータコンプレッサーは今まで見たことがない。女子の方も他の乗客もあえてなのか、無反応の様子であるが、これはただ事ではない。このおキチロリコンがいつ非合法的な所作を行使するか分からないものだから後方で私は神経を張り詰めながらおキチの一挙手一投足を監視せざるを得なかった。 思い出すのはサンダーバード事件のような我関せず、日和見主義の多数の人間による傍観者効果によって事件を防げなかった悪例であり、私としてはそんなキチガイな世の中に鉄槌を振り下ろすべく、非合法な所作を取るおキチを生温かく見守るわけにはいかない。男が非合法的行動を取った時点ですぐに飛びかかれるようにギリギリと心境を保つ。
 しかしながら、結局終点の駅までおキチは舐めるように女子を凝視するものの、手は出さず、終点に着いた瞬間、猛ダッシュでバスを降りていった。女子もあっけらかんとした感じで何事もなく下車しているので特に危険行為は何もなかったようだ。しかしながらダッシュで走っていく男を射殺でもしたい気分であった。もしかしたら奴は合法のギリギリラインで性欲を満たすプロだったのかもしれない。
 やれやれと駅に入り、みどりの窓口は長蛇の列。青春18きっぷ(11,500yen)をなんとか購入。クリスタルガイザーを買い、普通列車に乗る。煩いやつが多い。耳栓をする(i-podを忘れたのは痛かった)。文庫本を読む。
 卓球部らしき中学生が数人乗ってくる。顧問がああだ、こうだ、次の副部長はおれだ、なんだという台詞を聞いているとなんだか懐かしい心境に陥る。しかし弱小卓球部にありがちな内弁慶気質も垣間見えて、当時の自分たちのダメさ加減を思い出し、苛々してくる。その後、中学生が降りると、チアリーダーのようなコスプレミニスカートの丸顔眼鏡の百漢デヴが目前に座ってくる。申し訳ないが、欲情の「よ」の字も脳裏に浮かばない風貌であった。変わりに「厭」という文字が脳内に蠢く有様。デヴは行きずりのばあさんと話し出した。コミュニケーション能力が満タンである。その後、ばあさんが降りてイビキを掻きながらデヴは寝ていた。
 日本海が見えてくる。糸魚川駅に到着した。

 人がまばらで大した観光名所もない、石碑もない、だが、それがよい。
 観光案内所に行って「ブラック焼きそば」なるものがご当地グルメだとのことで、無類の焼きそば好きとしては見逃せず、地図を見ながらその店を目指して歩き出す。

壊れた自販機、退廃的な風景である。他に、かなり飛びとびにショッピングモールやゲオがある様が田舎のロードサイドらしかった。

駅前も人影もなく、のどかである。

トンネルに入る。

妙なハートマークがペイントされている。


 すたすた歩き、ブラック焼きそばののぼりのある定食屋を発見する。あらゆる店でブラック焼きそばを調理しており、のぼりが立っている店なら食べられるという具合である。だが、なんだか重々しい玄関を見て逃げる。
 また歩き出し、のぼりのある居酒屋風の店を発見する。だが、なんとくなく回避。
 再び歩き、のぼりのあるラーメン店を発見する。人気が少ないので何となく不安になるが、さすがに腹が減りすぎたので入店を決意。ラーメン店にブラック焼きそばか、なぞと思いながら入店する。
 



十分後、私はなぜかチャーハンセット(900yen)をかっ喰らっていた。


 ブラック焼きそばを目指しつつ、この着地に至った過程を克明に書かなければならない。
 まず、私はラーメン店に入店し、水を頂く。そしてメニューをぱらぱらと見る。から揚げ、ラーメン、丼物、焼きそば、いろいろ脈略がないメニューだ。ブラック焼きそばはイカ墨?オレはイカ墨が好きだったっけ?あれ、変だな、おかしいな。セットはお得だな。そうして
「すいません、えっとチャーハンセットで」
と述べた具合である。
 どうも私は潜在意識の中で、観光地で観光名所を見て、観光名物を食べるという、一種の「観光の常識」という強迫観念に対するレジスタンス(抵抗運動)をしたかったのかもしれない。はっきりは分からないが、『「観光」なぞどうでもいい、静養に来たのだ、冒険して変り種の名物を食べるよりも安定的なありきたりな物を食うんだ!』といった悪く言えば捻くれた意識がブラック焼きそばを千代大海の要領で叩き込み、チャーハンセットを呼び寄せた具合である。
 細かく言えば無類の焼きそば好きではあったが、無類のイカ墨好きではなかった、これが最後の最後で精神を反転させた要因であるかと思われる。
 さてラーメンとチャーハンと麻婆豆腐という香ばしい料理をモリモリと堪能し、汗だくで店を出て、殺風景を眺めつつ、駅に向かってあっさり帰路に着く。糸魚川への滞在時間はおよそ2時間であった。
 糸魚川駅から2時間半後には地元駅に着き、改札を出てバスに乗ると、また出会いもなく休日が終わり、また一週間始まるのかと、妙に悲観的な感情が押し寄せ、バス停で下車し、夕日が叩きこまれる青白い視界の向こうへと歩いていった。