夏の終わり

 案の定というかいつも通りというかあっさり戻ってきてしまった。仕事は正直、窓際部署で多忙じゃないし、眼も回復したこともあって更新にはなんら問題はない。
 資格勉強に打ち込んで新境地に行ってから更新と豪語したわけだけども、あっさり戻ってきてしまった。一週間離れただけで自分の大切な居場所だと再認識したよ。何かいつも通りのこの感じ、申し訳ない。
 自分は生活の中で文章を書くことが好きだ。孤独(自分には大そうな言葉だけども…)を生きていくうえで何より大切なのは、大切な何かに取り憑かれて、追い求めることだと思う。私の場合、下手くそなりに文章を書くことに取り憑かれて、そうして文章力を上げることを求めることだと気づいた。
 正直言って他人が読んで楽しいと思えるかは疑問だが、これからは不特定多数の読者とあらゆるものを共に目撃するという気持ちをしっかり持って更新していきたいと思っている。

孤独も知り、矛盾も知り、それから

 九月も半ばに差し掛かると云うのに酷暑は収まりそうに無い。こう暑いと集中力が欠如し、欲情も辞さない。腹立たしいのは職場に独身女性がほぼ皆無であるということである。そもそも男ばかりの職場では社内恋愛どころか社内欲情すら手の届かぬ話と云えよう。
 思えば、学生時代は、和気藹々と話はできないものの同年代の年若き女子を嫌ほど見て好き勝手に欲情できたというのに、今や虚ろな田園風景や粉塵まみれの害虫ばかり見る羽目になっており、発見率の高い女性といえば、百姓の老婆くらいのものである。それでも登下校をする女子学生などもいるにはいるのであるが、ヘルメットを被ったド田舎染みた「芋ブス」といった風情のそれでは何も勃起せず、腹立たしく性欲を持て余す羽目となっている。
 私は常々、関心・意欲・態度が残念な状態であり、休日はとりわけ書店で書籍を立ち読み、大型電器店マッサージチェアで無料マッサージをするという乞食めいたことをしていた。電器店のマッサージコーナーは中年女性店員が仕切っているのであるが、年齢から来るものか、こちらは無料で利用しようと云う魂胆だというのに、毎回あれこれと装着の仕方をしっかりとレクチャーしてくる具合である。それでいて商品を売り込むことなどは一切せず、ありがた迷惑とは云い難いほどのありがたさをやたらと投掛けてくれる。
 総じて私は、子供の頃から極端に友人が少ないほうであった。就職するまでに小学校から大学まで経験し、その間のアルバイトも経験したのだが、多少親しく口を利くようになった者は何人もいたが、いずれの場合も心の底から打ち解けるまでには至らなかった。卒業後に年賀状だけの関係が続き、ある年、こちらが返信しなかったものだからそれ以降は一切合切の連絡が取れなくなった者、メールアドレスの交換のみした者、メールを何度かやり取りした後やりとりが自然消滅した者、こちら側の軽率な行動により愛想をつかした者、などと総じて私は長期的な交流というものがほぼ皆無と云う現状である。それにはそうなるだけの理由があるのも確実で、自分の場合、日頃つい相手の厭な性質に着目し過ぎてしまって、こちらの虫の居所の悪い時に急にその相手の性質を小馬鹿にしたような態度を発露させ、それでそれっきりとなってしまう者も数人はいたが、最も多くのシェアを占めるのは自分の相手に対する無関心な姿勢に対して、相手も特に魅力もない私に対してそこまで執着する必要などあるわけもなく、必然的に無関心になって離れて云った具合である。
 しかし当の本人は自身のそうした性質をコンプレックスに思っていたわけでなく、他者と交わるにあたり、相手に依存しすぎるとどうにも息苦しくなり、独りになりたがる癖が根底から存在し、特定の相手に対しての関心を長期間持っていられず、そうして人格が形成されてしまった私は、どうにも他人と関わるくらいなら読書やインターネットに依存しているほうがよほど心の支えとなるようになってしまい、今現在、休日に遊べるような友人が皆無となってしまっている。
 仕事で、自分がそれまでやったことが無い作業を一人で初挑戦してやりおおせたときは、心地よい疲労感を感ぜられることはできたのであるが、作業をすると作業着も体も酷く汚れ、夏場は特に上着も持たずに走るものであるから、もはやコンビニすら立ち寄りがたい粉塵と、ウガンダトラほどの多量の汗を掻き、ぐちゃぐちゃに汚れきった風体になってしまうのである。そうすると、作業場所によってはトイレもまともに行けず、風体を因として小便を我慢していると、酷く忌々しい気分になったものである。しかし、汚れきったとて、コンビニ駐車場に車を停め、バッテリー上がりに怯えながらもエアコンを掛けた状態でコンビニから出てきた不特定なOLを不埒な思いで視ていたりしていたことはしていたのである。
 コンビニで腹立たしいと云えば、私は二十一才の時、「ローソン」と云うマイナーなコンビニでアルバイトとして働いていたことがあるのだが(オープニングスタッフに応募し、数週間働いていたことは働いていたのだが)、ある日、加賀という同じくバイトの男が「今日の店長機嫌悪いよ」などと云うので「ほお」と私は人の機嫌と云うものに自身のバイオリズムを左右されたくない性質なので、いつも通りマイペースにトイレ掃除をしていたら、「おい、レジ入れ!オレをレジに回させんじゃねえよ!!」などと白豚めいた風情の店長は怒鳴ってくる具合である。それを聞いて一瞬こちらの頭の血も逆流したのだが、その時は我慢し、何とかトイレ掃除を済まそうとする。しかし、その後もしきりにブツブツ文句を吐きながら苛々しているその白豚を見ていると、こんな器の小さな男の下ではバイトと云えども働きたくないと思い始め、そして自分が日頃小心者を演じているためにそれに乗じられることはそれまでの実人生であったことから、今回もこの白豚が私をストレス発散のために露骨に軽んじているのではないかという疑念も思い浮かび、そう考えていくと沸々と頭の血が強く逆流してきた具合である。日頃から法治国家を意識する私は、暴行はよくないので物にでも当たってやろうと思い、それも監視カメラの届かぬバックヤードの物がいい、且つできるだけスカッとする物がいいと思い、そうして吸殻入れの金属製のバケツを力強く蹴り上げ「バーーーン!!!! 」などという衝撃音を発する。するとすぐさま白豚がやって来て、途端に冷徹染みた表情となり、「これ君がやったの?やったんだろう」から始まるねちねちとした呪詛を私に浴びせてくるので、「蹴ったとこ見たのか?」「状況的に君しかいない」「言いがかりだ」などと言い争った挙句、「ああ、もういいからクビだ。帰って」などと冷静を装った風に白豚は発した具合である。そうして私が帰宅しようとすると、同じくバイトの焼芋風情の女は我関せずといった様相で淡々とレジにて作業をしている。その自己保身ぶりにも私は腹立たしい思いになり、そもそももっと豪快に白豚を罵倒できなかったものか、と数分前の自分にも腹が立ち(今こうして書いていると自分を含めたその場にいた全員に腹が立ち、全員撲殺したい具合である)、そうして冷え込む夜の道を忌々しい思いで帰っていった具合である。
当然ながら数週間後、給与を貰いにいこうと、自分の携帯番号だとコンビニの電話に出ない白豚に対して、非通知で電話を掛け、給与を貰いに行く旨を話し、白豚は「はい、はい」と如何にも必要最低限といった簡素な返事をしてくる。そうして大型スポーツ用品店で購入した金属バットを持ち、コンビニに入り、給与を貰いにいく。肌の浅黒いオーナーが給与をくれるようだが、その際に「君、バット持って何する気だよ」と云う。そうしてにやけた自分に対して「急に逃げるように辞めたんじゃどこいっても通用しないぞ」などと言うので、白豚がクビを宣告してそうして出て行ったのだから辞める許可は得ていたはずだ、と述べる。どうにも白豚は私に対してクビ宣告した事実を隠し、そして私が勝手にバックレたかの如くオーナーに伝え、事実を捻じ曲げに掛かっていたようだ。こちら側の不利な件は執拗に言い寄り、自身に不利なことはだんまりを決め込むどころか捻じ曲げる。やはりというか当然と云うかどうしようもない屑豚と云った具合である。そうして「オーナー、こいつが吸殻入れを凹ましたんですよ」と屑豚がバックヤードにやって来て言うのだが、その直後、バットを持ったこちらの風情を見てギョッとしたようにレジに帰っていく。その間、「こっち来いよ」などと言ってみたが無反応。するとオーナーが「店長はこっち呼ばなくていいだろ」などと何かしらの危険を感じ取っている様子。まったく、店長という肩書きがあったとてどうせできないイソップ童話のキツネだ。そうして私はオーナーに吸殻入れの件に関して言及されるも、自分は一切無関係だと主張し続け、その後呆れたようなオーナーから無事に給与を受け取り、特に意味もなく持ってきた金属バットとともに帰宅していったと云う具合である。その夜、金属バットが突如として溜め息混じりに呟いた。『そんな割に合わないことやらないだろう?おまえの粋がりはいつも安全圏内。危険を感じれば翼を閉じる見掛け倒しの鳥。偽りだ、偽りのアウトローだよ、おまえは』。返す言葉も無かった。
 九月は、世間では三連休が二回と云う、学生に至っては八月が夏休みだったというのにあっという間に息を抜くような体たらくなほどの休日が押寄せると云う具合に、私は僻み根性全開で酷く腹立たしくなったものである。入社一年目の時はゴールデンウィーク、シルバーウィークと云う(よりによって一年目にシルバーウィーク潰しという)現世が涎を垂らしながら堪能している時期も私はほぼ労働日であり、そうして現世に対して嘔吐するように呪詛した具合である。次回のシルバーウィークは二〇一五年だそうで、四年後こそは堪能したいと思うのであるが、果たして自分も地球もいるのかあるのかどうかも分からない。
 私の足繁く勤める会社は、年間休日が一〇七日と、一般企業の平均の年休約一一五日を大幅に下回っており、公務員や暇な企業の一二〇日以上という休日数からは雲泥と言っていいほど、かけ離れた数字である。年末年始、祝日、盆の休みなどというものが総じて一般企業のそれよりも少なく、ボーナスも人に大きな声で言えぬほどの額であり、休まず働いたのだからどこかで連休を得られるわけも無く、大金を得られるわけでもなく、恋人を得られるわけも無く、そうして人員の少なさや見栄の問題から体を壊さない限りは有給休暇の一日たりとも使えそうにない現状である。それは私が幼少期にスイミングスクールに通って進級の試験に受かったらその帰りに親に連れられてハーゲンダッツでアイスを食べていたことから「一つのことを頑張れば他の事で報われる」と植えつけられた「褒美の念」を甚だ否定するものである。しかしながら勉学を高校以降はしっかり怠り、そして就職活動も自分なりには頑張ったつもりだったが、成功者と比較するとまだまだ怠っていたことは事実であり、今は「頑張ってこなかったからアイスを食べられない」状態であるのは已む無く認めざるを得ない。それでいて大した努力もせずにアイスを食べている虚仮めいた連中をできるだけ多く引き摺り下ろして、そして自分はどうにか這い上がってアイスに喰らいつきたいという信念を公衆の面前ではひた隠しながらも持ちながら日々を過ごしている具合である。


 さて明日も、心を癒そうとする休日の人々を尻目に、食べるための仕事をして、そうして日記を更新できればこれ幸いと云うことです。