八月、僕はボケを卒業した

 聞き慣れない出囃子が鳴り、無表情で微動だにしないパイプ椅子に座る裏方スタッフを横目に、相方を追いかけるようにステージに駆け出す。

ツッコミの相方が上手、ボケの私が下手に立つことは練習で馴れきっており、当たり前に私は舞台下手に立った。

「はい、どーもー、宜しくお願いしまーす」

 

M-1グランプリ、初挑戦である。

 

なんとなく、漫才がしてみたかった。

テレビでは何千回も見た漫才の舞台に、実際に立ってみたかったのである。

二月上旬、ネットのとある掲示板でお笑い好きを募集し、相方と初めて会い、M-1のためだけにそれからファミレスやカラオケで八月初旬までに七回打ち合わせをした。

相方は無趣味で独身で、歳は私の一つ上、お世辞にも面白い男とは言い難い人物であった。会話も長くは続かず、互いにどこで働いているかは言わないまま、雑談はほとんどせず、ひたすらにネタを作り、ネタを覚え、ネタを演じることに徹したのである。

 

なぜ、こんなことをしているのか、おっさん二人が狭いカラオケ部屋でネタの練習を続ける。

練習がしんどいけど、自分から止めたくないから、相方が失踪してくれないかな、と時に本気で願った。

それでも練習を続けた。相方が作ったネタだ。お世辞にも笑えないネタだが、作ってもらっている以上、文句は言えまい。

 

八月初旬、M-1グランプリ2019 1回戦。

震えるほどの緊張感を胸に、

大阪の三百人強のキャパの満員のホールに僕らは立った。

 

スタンドマイク、観客、相方、自分が追い求めていたものだ。

 

ウケなかった。だが、それでよかった。

M-1の舞台で漫才をできたこと、それだけでよかった。

帰り、相方は口惜しそうに、ウケたかった、来年また出たいです、と言っていたが私にはもうその気はなかった。

酷暑の梅田で彼とは別れた。

R-1ぐらんぷりに三回出ても得られなかった連帯感が心地好かった。

僕はもうボケずに生きていきたい。